謎の中央本線の歌
さて、今日はもう一つ祖母がらみの話題を。
祖母が亡くなってしまったために、
確認のしようが亡くなってしまったのですが、
晩年、鼻歌交じりによく歌っていた歌に、
謎の中央本線の歌があります。歌詞はこんな歌詞。
甲府発、石和、日下部、塩山、初鹿野(エ~ットさっさ)
トンネル抜けたら笹子駅、
大月、猿橋(えんきょう)、鳥沢、上野原
与瀬よ、浅川、八王子で乗り換える・・・
石和は現在は石和温泉、日下部は山梨市、
初鹿野は甲斐大和、与瀬は相模湖、
浅川は現在の高尾となります。
つまり、甲府始発で、中央線の駅を
西から東にたどっていることになります。
東京の歌ならば、東京から西へ向かうでしょうから、
祖母が生まれた山梨で歌われていた歌なのに
違いありません。
なにぶんにも耳が遠くなってからの鼻歌なので、
音程もかなり怪しいのですが、
合いの手からすると、鉄道唱歌と言うより
民謡調の曲なように感じます。
それにしても不思議なのは、東京までたどり着かず、
八王子で乗り換えてしまうことと、
現在の駅からはだいぶ抜けがあることです。
祖母が生まれたのは大正6年、西暦だと1917年です。
そして中央線が甲府まで開業したのは1903年だそうなので、
祖母が生まれるわずか14年ほど前になります。
調べてみたら、甲府まで開業した時の途中駅は、
まさに祖母が歌っていた歌と同じ。
ちなみに四方津は1910年、勝沼ぶどう郷(当時は勝沼)は1913年の
開業だそうです。
どちらも祖母が生まれる前に開業していますが、
祖母が歌っていた歌にこの二駅は含まれていません。
さらに、八王子~甲府間は官営鉄道として開業したのですが、
開業当時、八王子以東は民間の甲武鉄道が経営しており、
1906年に甲武鉄道を国有化して、現在の中央本線となったようです。
もしかすると、甲府までの開業当初は私鉄と国営と言うことで、
直通運転されておらず、「八王子で乗り換える」だったのかもしれません。
もう一つ考えられるのは、八王子で乗り換える横浜線の存在。
甲州や信州、そして八王子の絹織物を横浜港へと運ぶために作られたのが
1908年に開業した横浜線(当時は私鉄の横浜鉄道)です。
この当時の山梨県の重要な特産品は絹でしたから、
八王子で乗り換えて横浜へ運んだ絹にまつわる歌かもしれません。
そのいずれにしても、開業した1903年から1908年辺りまでの
中央線のことを歌った歌だと言うことに間違いはなさそうで、
おそらくは中央線の開業を記念して、山梨で歌われた
歌なのではないかと想定されます。
祖母は、子供の頃にこの歌を覚えたのではないかと思いますが、
今となっては、なにぶんにも確認するすべがないため、
どんないわれのある歌なのか、何という名前なのか
調べてみたのですが、よくわかりません。
もしどなたかご存じの方がいらっしゃったら、
是非教えてください。
ちなみに、甲武鉄道の経営を担った明治の鉄道王、雨宮敬次郎は
軽井沢を開墾し、大量の落葉松を植えて、
現在の落葉松林が生い茂る軽井沢の景観の基礎を作った人。
軽井沢図書館や市村記念館がある敷地は、
この雨宮敬次郎の邸宅のあとで、
中学校の隣にあり、
秋にはこのようにきれいに紅葉するモミジが囲む池は雨宮池と言い、
正面の立派な門をくぐると、奥に旧邸がいまでもそのまま残っているそうです。
毎朝前は通るけど中には入ったことがないので、
今度行ってみたいと思います。
それにしても、不思議な歌ですねと思った方は
こちらからポチッと!
ご存じの方も是非ポチッと!
ツイートボタンも設置したので、よろしかったらつぶやいてくださいまし。
Tweet
祖母が亡くなってしまったために、
確認のしようが亡くなってしまったのですが、
晩年、鼻歌交じりによく歌っていた歌に、
謎の中央本線の歌があります。歌詞はこんな歌詞。
甲府発、石和、日下部、塩山、初鹿野(エ~ットさっさ)
トンネル抜けたら笹子駅、
大月、猿橋(えんきょう)、鳥沢、上野原
与瀬よ、浅川、八王子で乗り換える・・・
石和は現在は石和温泉、日下部は山梨市、
初鹿野は甲斐大和、与瀬は相模湖、
浅川は現在の高尾となります。
つまり、甲府始発で、中央線の駅を
西から東にたどっていることになります。
東京の歌ならば、東京から西へ向かうでしょうから、
祖母が生まれた山梨で歌われていた歌なのに
違いありません。
なにぶんにも耳が遠くなってからの鼻歌なので、
音程もかなり怪しいのですが、
合いの手からすると、鉄道唱歌と言うより
民謡調の曲なように感じます。
それにしても不思議なのは、東京までたどり着かず、
八王子で乗り換えてしまうことと、
現在の駅からはだいぶ抜けがあることです。
祖母が生まれたのは大正6年、西暦だと1917年です。
そして中央線が甲府まで開業したのは1903年だそうなので、
祖母が生まれるわずか14年ほど前になります。
調べてみたら、甲府まで開業した時の途中駅は、
まさに祖母が歌っていた歌と同じ。
ちなみに四方津は1910年、勝沼ぶどう郷(当時は勝沼)は1913年の
開業だそうです。
どちらも祖母が生まれる前に開業していますが、
祖母が歌っていた歌にこの二駅は含まれていません。
さらに、八王子~甲府間は官営鉄道として開業したのですが、
開業当時、八王子以東は民間の甲武鉄道が経営しており、
1906年に甲武鉄道を国有化して、現在の中央本線となったようです。
もしかすると、甲府までの開業当初は私鉄と国営と言うことで、
直通運転されておらず、「八王子で乗り換える」だったのかもしれません。
もう一つ考えられるのは、八王子で乗り換える横浜線の存在。
甲州や信州、そして八王子の絹織物を横浜港へと運ぶために作られたのが
1908年に開業した横浜線(当時は私鉄の横浜鉄道)です。
この当時の山梨県の重要な特産品は絹でしたから、
八王子で乗り換えて横浜へ運んだ絹にまつわる歌かもしれません。
そのいずれにしても、開業した1903年から1908年辺りまでの
中央線のことを歌った歌だと言うことに間違いはなさそうで、
おそらくは中央線の開業を記念して、山梨で歌われた
歌なのではないかと想定されます。
祖母は、子供の頃にこの歌を覚えたのではないかと思いますが、
今となっては、なにぶんにも確認するすべがないため、
どんないわれのある歌なのか、何という名前なのか
調べてみたのですが、よくわかりません。
もしどなたかご存じの方がいらっしゃったら、
是非教えてください。
ちなみに、甲武鉄道の経営を担った明治の鉄道王、雨宮敬次郎は
軽井沢を開墾し、大量の落葉松を植えて、
現在の落葉松林が生い茂る軽井沢の景観の基礎を作った人。
軽井沢図書館や市村記念館がある敷地は、
この雨宮敬次郎の邸宅のあとで、
中学校の隣にあり、
秋にはこのようにきれいに紅葉するモミジが囲む池は雨宮池と言い、
正面の立派な門をくぐると、奥に旧邸がいまでもそのまま残っているそうです。
毎朝前は通るけど中には入ったことがないので、
今度行ってみたいと思います。
それにしても、不思議な歌ですねと思った方は
こちらからポチッと!
ご存じの方も是非ポチッと!
ツイートボタンも設置したので、よろしかったらつぶやいてくださいまし。
Tweet
- 関連記事
-
- 大雪の後始末 (2012/01/23)
- 謎の中央本線の歌 (2012/01/22)
- 祖母の死 (2012/01/22)