国宝 松本城
しかし、昨日は疲れて眠くて眠くて、
半分寝ぼけながら更新したのですが、
なぜか同じ内容が二つアップ。う~ん、一体どんな行為をしたのだか。
それぞれに拍手をいただいてしまったので、
ちょっとおかしいですが、そのままにしておきます。
どうもすみません。
さて、話題がちょっと遡り、セイジ・オザワ松本フェスティバルに行った、
松本の話題ですが、演奏会のあと、美ヶ原温泉で一泊したのち、
翌朝は、こちらに行ってみました。

国宝、松本城です。
松本には年数回は行っていて、もちろん城のまわりは通るのですが、
わざわざ見に行ったのは本当に久し振り。
今回は、両親も一緒だったので、
せっかくと言うことで行ってみました。
この日は背後の北アルプスの山並みがよく見えなくて、残念でしたが、
それでも、小ぶりながら威風堂々たる構えは、
さすが国宝の名にふさわしい名城です。

この角度から見るのが、個人的には一番好き。

こうやってみると、本当に大きく見えますね。
ところで、改めて思うに、この城、だれの城?
・・・といわれて、一瞬あれ?と思う方も多いのではないでしょうか。
私もとっさに、だれの城か、よくわかりませんでした。
今さらながら調べてみたら、
正確な築城年は不明ながら、ほぼ安土桃山時代。
ちょうど、現在真田丸で取り上げられている時代とほぼ一致します。
築城したのは、当時の城主、石川康長といわれているそうです。
そもそも、仙台=伊達氏、加賀=前田氏、長州=毛利氏、薩摩=島津氏など、
大藩で、しかも藩主が代々連綿と続いている所とは異なり、
信州は小藩が分立。
一番有名なのは、幕末まで続いた松代藩=真田氏ですが、
とにかく藩主がころころと変わっています。
かの上田城も、真田氏のイメージが非常に強いですが
その後仙石氏の居城となり、さらに幕末まで続いたのは松平氏。
松本もその例外ではなく、石川氏のあと、小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏、
そして再び戸田氏と、めまぐるしく城主が変わります。
信州が、江戸と上方、そして北陸とをつなぐ要衝だったがために、
古くは北条、武田、上杉、織田の草刈り場となり、
その後は徳川氏の政策により、自らの息のかかったものを据え、
今風に言えば、頻繁に人事異動を行ったというような感じ。
これでは、だれの城だったのか、イメージが希薄なのも頷けますね。
さて、この松本城、現在幕末期の姿を取り戻すために、
大規模な復元工事が始まっているそうです。
今回初めて行ったのですが、
東側にある、太鼓門は、平成11年に復元。




ここには枡形も復元されています。
この後、現在は外濠の復元工事に着手。
数年前に中華料理店があったところも立ち退きが進み、
この辺りに外濠が復元されるそうです。
そうすると、また違った松本城が見られるかも知れませんね。
次の目標、250万アクセスに向けて、
本日も盛大にポチッと、よろしくお願いいたします!

半分寝ぼけながら更新したのですが、
なぜか同じ内容が二つアップ。う~ん、一体どんな行為をしたのだか。
それぞれに拍手をいただいてしまったので、
ちょっとおかしいですが、そのままにしておきます。
どうもすみません。
さて、話題がちょっと遡り、セイジ・オザワ松本フェスティバルに行った、
松本の話題ですが、演奏会のあと、美ヶ原温泉で一泊したのち、
翌朝は、こちらに行ってみました。

国宝、松本城です。
松本には年数回は行っていて、もちろん城のまわりは通るのですが、
わざわざ見に行ったのは本当に久し振り。
今回は、両親も一緒だったので、
せっかくと言うことで行ってみました。
この日は背後の北アルプスの山並みがよく見えなくて、残念でしたが、
それでも、小ぶりながら威風堂々たる構えは、
さすが国宝の名にふさわしい名城です。

この角度から見るのが、個人的には一番好き。

こうやってみると、本当に大きく見えますね。
ところで、改めて思うに、この城、だれの城?
・・・といわれて、一瞬あれ?と思う方も多いのではないでしょうか。
私もとっさに、だれの城か、よくわかりませんでした。
今さらながら調べてみたら、
正確な築城年は不明ながら、ほぼ安土桃山時代。
ちょうど、現在真田丸で取り上げられている時代とほぼ一致します。
築城したのは、当時の城主、石川康長といわれているそうです。
そもそも、仙台=伊達氏、加賀=前田氏、長州=毛利氏、薩摩=島津氏など、
大藩で、しかも藩主が代々連綿と続いている所とは異なり、
信州は小藩が分立。
一番有名なのは、幕末まで続いた松代藩=真田氏ですが、
とにかく藩主がころころと変わっています。
かの上田城も、真田氏のイメージが非常に強いですが
その後仙石氏の居城となり、さらに幕末まで続いたのは松平氏。
松本もその例外ではなく、石川氏のあと、小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏、
そして再び戸田氏と、めまぐるしく城主が変わります。
信州が、江戸と上方、そして北陸とをつなぐ要衝だったがために、
古くは北条、武田、上杉、織田の草刈り場となり、
その後は徳川氏の政策により、自らの息のかかったものを据え、
今風に言えば、頻繁に人事異動を行ったというような感じ。
これでは、だれの城だったのか、イメージが希薄なのも頷けますね。
さて、この松本城、現在幕末期の姿を取り戻すために、
大規模な復元工事が始まっているそうです。
今回初めて行ったのですが、
東側にある、太鼓門は、平成11年に復元。




ここには枡形も復元されています。
この後、現在は外濠の復元工事に着手。
数年前に中華料理店があったところも立ち退きが進み、
この辺りに外濠が復元されるそうです。
そうすると、また違った松本城が見られるかも知れませんね。
次の目標、250万アクセスに向けて、
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