未公開の御朱印・御首題めぐり、総まとめ-2「柴又帝釈天・題経寺と池上本門寺」
昨日のブログで付けたタイトル、ちょっと誤解するといけないので、
念のためですが、お寺が未公開と言うことではなくて、
私がブログに公開していなかったという意味です。
日本語は難しいなぁ。
さて、このブログに書き込まなかった今年の御朱印・御首題めぐり、
続いてのご紹介は、柴又帝釈天と、池上本門寺です。
こちらが柴又帝釈天で、

こちらが池上本門寺。

一日違いだったのですが、池上は生憎の雨になってしまいました。
どちらも都内を代表する日蓮宗の古刹です。
まずは柴又帝釈天。ご存じ男はつらいよのフーテンの寅さんでおなじみの寺ですが、
毎年当ブログでもご紹介の通り、子どもの頃から毎年必ず元旦に初詣に行く
我が家にとってはおなじみの寺。
これは早く御首題をいただかなければと、行ってみたというわけです。

やはり、下町有数の観光地。縁日の「庚申」の日ではありませんが、
それでも結構な参拝客です。
この題経寺は、彫刻の寺としても有名。
本堂帝釈堂の正面の破風には、それは見事な彫刻が施されています。

拝観料がかかりますが、本堂裏手には、さらに見事な彫刻が。




この建物、古そうに見えますが、立てられたのは昭和初期。
当代の名工により、法華経の説話が10面にわたって彫られています。
せっかく帝釈天に参拝したら、是非本堂裏手の見事な彫刻も見てきてください。
御首題は本堂の釈迦堂でいただきます。

ちなみに、ちょうど内陣でご祈祷の真っ最中でしたが、
だいたい力強い日蓮宗のお経の中でも、柴又帝釈天のは格別。
ど迫力なお経で、とても御利益がありそうです。
ホームページは、懐かしや90年代風。
こちらも一見の価値があります。
さて、翌日は池上本門寺。
久し振りに首都高速に乗り、車で行きましたが、
東京の東側にある我が家の実家から30分あまりでついてしまいました。
2号目黒線なんて乗ったの、何年ぶりだろう。
戸越で下りて、そのまま第1京浜に向かうと、程なく池上本門寺の看板が
見えてきます。
この池上本門寺は、日蓮大聖人が入滅された地に建つ、
日蓮宗7大本山の一つ。
境内には、日蓮宗の宗務庁もあり、身延と並ぶ日蓮宗の本拠地の一つです。
ちなみに山号は長栄山。

ここ池上も空襲で江戸期に立てられた建造物は軒並み焼けたようで、
ほとんどの建物はコンクリート造り。
それでも、本堂の大堂はその名の通りかなり巨大な建造物です。

江戸期には、さらに巨大な建物だったとのこと。
特に、慶長期に加藤清正が寄進したと言われる2代前の大堂は
間口が25間と今の倍近い大きさを誇る建物だったようです。
その後火災により焼失し、徳川吉宗により用材を寄進され、再建された大堂も
戦災で焼失し、昭和39年に再建されたのが、現在の大堂だそうです。
伽藍のほとんどが、戦災で焼失したとのことでしたが、
ただそれでもいくつかの建物は焼けずに残ったようで、
こちらの五重塔も、徳川秀忠寄進だそうです。

大堂の正面にある、天水桶は、日蓮宗のシンボルである
井桁に蓮の紋章が。

そして、大堂の破風の部分には、なんだかトーテムポールのような
エキゾチックな彫り物が施されていました。

こちらの御首題は大堂の内陣脇で。
若い僧侶の方でしたが、なかなかの達筆です。

次の目標、250万アクセスに向けて、
本日も盛大にポチッと、よろしくお願いいたします!

念のためですが、お寺が未公開と言うことではなくて、
私がブログに公開していなかったという意味です。
日本語は難しいなぁ。
さて、このブログに書き込まなかった今年の御朱印・御首題めぐり、
続いてのご紹介は、柴又帝釈天と、池上本門寺です。
こちらが柴又帝釈天で、

こちらが池上本門寺。

一日違いだったのですが、池上は生憎の雨になってしまいました。
どちらも都内を代表する日蓮宗の古刹です。
まずは柴又帝釈天。ご存じ男はつらいよのフーテンの寅さんでおなじみの寺ですが、
毎年当ブログでもご紹介の通り、子どもの頃から毎年必ず元旦に初詣に行く
我が家にとってはおなじみの寺。
これは早く御首題をいただかなければと、行ってみたというわけです。

やはり、下町有数の観光地。縁日の「庚申」の日ではありませんが、
それでも結構な参拝客です。
この題経寺は、彫刻の寺としても有名。
本堂帝釈堂の正面の破風には、それは見事な彫刻が施されています。

拝観料がかかりますが、本堂裏手には、さらに見事な彫刻が。




この建物、古そうに見えますが、立てられたのは昭和初期。
当代の名工により、法華経の説話が10面にわたって彫られています。
せっかく帝釈天に参拝したら、是非本堂裏手の見事な彫刻も見てきてください。
御首題は本堂の釈迦堂でいただきます。

ちなみに、ちょうど内陣でご祈祷の真っ最中でしたが、
だいたい力強い日蓮宗のお経の中でも、柴又帝釈天のは格別。
ど迫力なお経で、とても御利益がありそうです。
ホームページは、懐かしや90年代風。
こちらも一見の価値があります。
さて、翌日は池上本門寺。
久し振りに首都高速に乗り、車で行きましたが、
東京の東側にある我が家の実家から30分あまりでついてしまいました。
2号目黒線なんて乗ったの、何年ぶりだろう。
戸越で下りて、そのまま第1京浜に向かうと、程なく池上本門寺の看板が
見えてきます。
この池上本門寺は、日蓮大聖人が入滅された地に建つ、
日蓮宗7大本山の一つ。
境内には、日蓮宗の宗務庁もあり、身延と並ぶ日蓮宗の本拠地の一つです。
ちなみに山号は長栄山。

ここ池上も空襲で江戸期に立てられた建造物は軒並み焼けたようで、
ほとんどの建物はコンクリート造り。
それでも、本堂の大堂はその名の通りかなり巨大な建造物です。

江戸期には、さらに巨大な建物だったとのこと。
特に、慶長期に加藤清正が寄進したと言われる2代前の大堂は
間口が25間と今の倍近い大きさを誇る建物だったようです。
その後火災により焼失し、徳川吉宗により用材を寄進され、再建された大堂も
戦災で焼失し、昭和39年に再建されたのが、現在の大堂だそうです。
伽藍のほとんどが、戦災で焼失したとのことでしたが、
ただそれでもいくつかの建物は焼けずに残ったようで、
こちらの五重塔も、徳川秀忠寄進だそうです。

大堂の正面にある、天水桶は、日蓮宗のシンボルである
井桁に蓮の紋章が。

そして、大堂の破風の部分には、なんだかトーテムポールのような
エキゾチックな彫り物が施されていました。

こちらの御首題は大堂の内陣脇で。
若い僧侶の方でしたが、なかなかの達筆です。

次の目標、250万アクセスに向けて、
本日も盛大にポチッと、よろしくお願いいたします!


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