越中富山の御朱印めぐり-5 彫刻の街の大寺院「井波別院瑞泉寺」
おかげさまで、御朱印がずいぶんたまっています。
こんな時でないと、まとめてご紹介できないので、
夏休み中は特別2本ご紹介大勢でご紹介しますね。
まずはゴールデンウィーク中に出かけて、途中になっていた
越中富山の御朱印めぐり。
締めくくりは城端別院善徳寺に続いて詣でたのが
井波別院瑞泉寺です。
この瑞泉寺がある井波地区は、彫刻の街。
越中富山の御朱印めぐりシリーズで、
高瀬神社や善徳寺など、社殿に施された素晴らしい彫刻を
ご紹介しましたが、それらの彫刻は、この井波の職人によるものだそうです。
まずは、その彫刻の数々が紹介されている、
こちらの施設に向かいました。

道の駅に併設された、井波彫刻総合会館です。
中は撮影できないので、正面入り口の巨大な彫刻を。

彫刻と言ってもいろいろありますが、
ここ、井波の彫刻は元々これから参拝する瑞泉寺建築の際、
京都の本願寺から招かれた職人が地元の職人に技能が伝承されたのが
その始まりとか。
そのため、井波の職人はここ富山だけではなく、全国の寺社建築に腕を振るったそうで、
その技法を生かして明治以降は和風建築には欠かせない欄間などの透かし彫りを
多く手がけるようになったそうです。
館内には町内の作家の作品がいろいろ展示されていますが、
特に順路の最後の方に展示されている欄間彫刻は、実に見応えがありました。
ということで、まずは基礎知識を学んだら、
瑞泉寺に向かいます。
この瑞泉寺に向かう門前町、八日町通りは
古い家並みが続く、なかなか雰囲気の良い通り。

反対側から見ると、遠くに瑞泉寺の大屋根が見えます。

これで電柱がなければ、パーフェクトなのですが・・・
緩やかな坂になっている八日町通りの両脇のあちこちには
彫刻の工房が並んでいます。
数件は見学も出来るようでしたが、
ゴールデンウィークのまっただ中と言うこともあって、
この日は休みのところがほとんどでした。
その八日町通りの正面に、
瑞泉寺の入り口、高岡門があります。

この両脇は、何と石垣。

まるで城のよう、と思ったら、そもそもここは
井波城という城の跡に作られたそうです。
おまけに、ここ瑞泉寺は真宗大谷派の寺院。
かつては、北陸で盛んだった一向一揆の拠点の1つだったそうです。
なるほど、なので城壁・・・と早合点をしたら、
この城壁はそうではなく、防火のために江戸時代に作られたものだそうです。
この高岡門を入ると、地味な高岡門とは異なる
壮麗な大門が見えてきます。

今回の越中富山の御朱印めぐりで訪れた寺の門は、
いずれも素晴らしい門でしたが、
ここ瑞泉寺の門は特に巨大で、贅をこらした造りです。

木組みの力強さと言ったら、他に類例を見ない感じ。
そして上の写真でも見えていますが、
これぞ井波彫刻という精緻な彫刻が、一面に施されています。

この門をくぐると、正面に見える本堂がまたでかい。
本堂前を歩く人の大きさから、その巨大さが分かるというものです。

東大寺大仏殿や、京都の東本願寺などと並ぶ、
日本有数の木造建築だそうです。
どのくらい古いものかと思ったら、江戸時代末期に火災に遭い、
その後明治18年に再建されたものだそうです。
本堂正面には見事な藤棚が。

ちょうど見ごろに訪れたようです。
その巨大本堂の正面向かって左手に立つ、
これまた大きなお堂が、太子堂。


こちらは、その名の通り聖徳太子を祀るお堂。
仏教を手厚く保護した聖徳太子は、
浄土真宗でも篤く敬っているそうです。
こちらも火事で焼失したものを、本堂に遅れて大正7年に再建。
大門や本堂を上回る、それは見事な彫刻が
建物の内外に施されています。




これは見応えがありました。
最後に、本堂の阿弥陀様に手を合わせ、
本堂内で御朱印をいただきます。

こちらも城端の善徳寺と同様、真宗寺院でも
御朱印をいただくことが出来ました。
それにしても、決して富山にこんなに素晴らしいところがあるとは、
今回調べるまで全く知りませんでした。
今回は行きませんでしたが、五箇山からも、そう遠くはない場所なんですよ。
何より、まだ観光地化されていないのが素晴らしい。
今回は、ゴールデンウィークということもあって
渋滞が心配でかなり駆け足で巡ったのですが、
是非またゆっくり行ってみたいと思います。
次の目標、250万アクセスに向けて、
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こんな時でないと、まとめてご紹介できないので、
夏休み中は特別2本ご紹介大勢でご紹介しますね。
まずはゴールデンウィーク中に出かけて、途中になっていた
越中富山の御朱印めぐり。
締めくくりは城端別院善徳寺に続いて詣でたのが
井波別院瑞泉寺です。
この瑞泉寺がある井波地区は、彫刻の街。
越中富山の御朱印めぐりシリーズで、
高瀬神社や善徳寺など、社殿に施された素晴らしい彫刻を
ご紹介しましたが、それらの彫刻は、この井波の職人によるものだそうです。
まずは、その彫刻の数々が紹介されている、
こちらの施設に向かいました。

道の駅に併設された、井波彫刻総合会館です。
中は撮影できないので、正面入り口の巨大な彫刻を。

彫刻と言ってもいろいろありますが、
ここ、井波の彫刻は元々これから参拝する瑞泉寺建築の際、
京都の本願寺から招かれた職人が地元の職人に技能が伝承されたのが
その始まりとか。
そのため、井波の職人はここ富山だけではなく、全国の寺社建築に腕を振るったそうで、
その技法を生かして明治以降は和風建築には欠かせない欄間などの透かし彫りを
多く手がけるようになったそうです。
館内には町内の作家の作品がいろいろ展示されていますが、
特に順路の最後の方に展示されている欄間彫刻は、実に見応えがありました。
ということで、まずは基礎知識を学んだら、
瑞泉寺に向かいます。
この瑞泉寺に向かう門前町、八日町通りは
古い家並みが続く、なかなか雰囲気の良い通り。

反対側から見ると、遠くに瑞泉寺の大屋根が見えます。

これで電柱がなければ、パーフェクトなのですが・・・
緩やかな坂になっている八日町通りの両脇のあちこちには
彫刻の工房が並んでいます。
数件は見学も出来るようでしたが、
ゴールデンウィークのまっただ中と言うこともあって、
この日は休みのところがほとんどでした。
その八日町通りの正面に、
瑞泉寺の入り口、高岡門があります。

この両脇は、何と石垣。

まるで城のよう、と思ったら、そもそもここは
井波城という城の跡に作られたそうです。
おまけに、ここ瑞泉寺は真宗大谷派の寺院。
かつては、北陸で盛んだった一向一揆の拠点の1つだったそうです。
なるほど、なので城壁・・・と早合点をしたら、
この城壁はそうではなく、防火のために江戸時代に作られたものだそうです。
この高岡門を入ると、地味な高岡門とは異なる
壮麗な大門が見えてきます。

今回の越中富山の御朱印めぐりで訪れた寺の門は、
いずれも素晴らしい門でしたが、
ここ瑞泉寺の門は特に巨大で、贅をこらした造りです。

木組みの力強さと言ったら、他に類例を見ない感じ。
そして上の写真でも見えていますが、
これぞ井波彫刻という精緻な彫刻が、一面に施されています。

この門をくぐると、正面に見える本堂がまたでかい。
本堂前を歩く人の大きさから、その巨大さが分かるというものです。

東大寺大仏殿や、京都の東本願寺などと並ぶ、
日本有数の木造建築だそうです。
どのくらい古いものかと思ったら、江戸時代末期に火災に遭い、
その後明治18年に再建されたものだそうです。
本堂正面には見事な藤棚が。

ちょうど見ごろに訪れたようです。
その巨大本堂の正面向かって左手に立つ、
これまた大きなお堂が、太子堂。


こちらは、その名の通り聖徳太子を祀るお堂。
仏教を手厚く保護した聖徳太子は、
浄土真宗でも篤く敬っているそうです。
こちらも火事で焼失したものを、本堂に遅れて大正7年に再建。
大門や本堂を上回る、それは見事な彫刻が
建物の内外に施されています。




これは見応えがありました。
最後に、本堂の阿弥陀様に手を合わせ、
本堂内で御朱印をいただきます。

こちらも城端の善徳寺と同様、真宗寺院でも
御朱印をいただくことが出来ました。
それにしても、決して富山にこんなに素晴らしいところがあるとは、
今回調べるまで全く知りませんでした。
今回は行きませんでしたが、五箇山からも、そう遠くはない場所なんですよ。
何より、まだ観光地化されていないのが素晴らしい。
今回は、ゴールデンウィークということもあって
渋滞が心配でかなり駆け足で巡ったのですが、
是非またゆっくり行ってみたいと思います。
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