上州太田の「子育呑龍」・義重山大光院新田寺
またまた話が飛び飛びで恐縮なのですが、
先月群馬・新町の於菊稲荷神社に限定御朱印をいただきに行った日の続きです。
この日はそのほかにも車の点検、倉賀野神社参拝と
盛りだくさんな一日だったのですが、
午後まだまだ時間があったので、足を伸ばしていって見たのがこちらです。

太田の義重山大光院新田寺。
またの名を太田の「子育呑龍」として名高い寺です。
群馬の上毛かるたにも「太田金山子育て呑龍」と読まれるこの寺、
義重山新田寺という名の通り、徳川家の始祖とされる新田義重の菩提を弔うために
徳川家康が創建した寺院です。
開山したのは、呑龍上人。困窮する子どもたちを育てて
養育したので、今でも子育て呑龍様として崇敬されているそうです。
この呑龍上人の足跡は、川越や小諸などにもあるそうで、
そこでも困窮した子どもたちを養育した逸話が残っているそうですよ。
さて、新田寺、不思議なことに新田寺という名前ではなく、
大光院という院号で呼ばれています。
なぜかはよくわからなかったのですが、
徳川家康がしそを追善するため創建したと言うこともあってか、
なかなか寺域は広大。
さらに家康ゆかりの建物は今でも残っていて、
正面の吉祥門と呼ばれる門は、
大坂城落城の日当日に落成したため、吉祥門と名づけられたそうです。

その門をくぐると、正面が本堂で、
先ほどの新田寺の扁額はここに掲げられています。

その本堂に向かって、左手にはさらに巨大な建物が。

こちらは開山の呑龍上人をお祀りするお堂のようで、
本堂よりこちらの方が参拝者が多かったです。
上の写真にも、お宮参り(寺ですが・・・)のご家族が写っていますね。
健やかな成長を祈って、参拝されたようです。
我が家も子どもはいませんが、こちらで祈って参りました。
御朱印もこちらの開山堂で。
結構お寺の方もいらっしゃったのですが、
御朱印は書き置きでした。

どうやら両毛線沿線は多いのかな?
有名な佐野厄除け大師も、書き置き御朱印だそうです。
次の目標、250万アクセスに向けて、
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徳川家康が創建した寺院です。
開山したのは、呑龍上人。困窮する子どもたちを育てて
養育したので、今でも子育て呑龍様として崇敬されているそうです。
この呑龍上人の足跡は、川越や小諸などにもあるそうで、
そこでも困窮した子どもたちを養育した逸話が残っているそうですよ。
さて、新田寺、不思議なことに新田寺という名前ではなく、
大光院という院号で呼ばれています。
なぜかはよくわからなかったのですが、
徳川家康がしそを追善するため創建したと言うこともあってか、
なかなか寺域は広大。
さらに家康ゆかりの建物は今でも残っていて、
正面の吉祥門と呼ばれる門は、
大坂城落城の日当日に落成したため、吉祥門と名づけられたそうです。

その門をくぐると、正面が本堂で、
先ほどの新田寺の扁額はここに掲げられています。

その本堂に向かって、左手にはさらに巨大な建物が。

こちらは開山の呑龍上人をお祀りするお堂のようで、
本堂よりこちらの方が参拝者が多かったです。
上の写真にも、お宮参り(寺ですが・・・)のご家族が写っていますね。
健やかな成長を祈って、参拝されたようです。
我が家も子どもはいませんが、こちらで祈って参りました。
御朱印もこちらの開山堂で。
結構お寺の方もいらっしゃったのですが、
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