上野国一社八幡宮
順不同ですが、またまたたまっている御朱印の話題を片付けます。
今年の6月(ずいぶん前だな・・・)、所用で高崎に下りた際、
少し時間があったので、群馬方面の寺社をいくつか巡ってみました。
まずは上野国一社八幡宮。

通称「八幡の八幡様」と呼ばれているそうで、
国道18号線を軽井沢から高崎に向かうと、
安中の先、碓氷川を渡って高崎環状線の交差点の手前の所に、
大きな鳥居と「八幡八幡宮」とかなりダブり感がある案内看板が立っています。
でも、正しくは上野国一社八幡宮という
重々しい名前の神社です。
前から18号を通る旅に気にはなっていたのですが
初めて参拝してみました。
国道18号線を曲がり、大きな赤い鳥居をくぐると、
正面にそれらしい建物が見えてきました。

しかし、あれ、寺?
なんだか神社らしい造りではありません。

でもよく見るとちょろっと鳥居らしきものも見えています。
半信半疑で正面の門の左手にまわり、
駐車場に車を駐めて境内に入ります。
すると、正面の門から階段を上がったところに、
ちゃんと鳥居がありました。
その鳥居越しに下の参道を見下ろすと、
遠くに赤い鳥居が見えますが、これが国道18号沿いにある
大きな鳥居です。

拝殿は、権現造りで、建物だけ見ると
碓氷川を挟んで反対側にある少林山達磨寺の本堂に
そっくりです。

しかし、神社の門の数は社格の高さを表すと言いますが、
鳥居と本堂の間には、もう一つの門があり、
かなり由緒ある神社だろうと調べてみたら、
何と創建は957年。
新田氏や足利氏、武田氏などの崇敬を受け、
江戸時代には徳川幕府から100石の朱印地を寄進されていたそうです。
しかも鐘楼もあるので、おそらく江戸時代までは神仏習合だったのではないかと思います。

実際、隣には大聖護国寺という寺院が。
なんと、東京音羽の護国寺の元になった寺だそうで、
なかなか格式の高そうなこの神社とも関係があったのかもしれません。
最後に社務所で御朱印をいただきます。

折り目正しい、楷書の御朱印です。
次の目標、250万アクセスに向けて、
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少し時間があったので、群馬方面の寺社をいくつか巡ってみました。
まずは上野国一社八幡宮。

通称「八幡の八幡様」と呼ばれているそうで、
国道18号線を軽井沢から高崎に向かうと、
安中の先、碓氷川を渡って高崎環状線の交差点の手前の所に、
大きな鳥居と「八幡八幡宮」とかなりダブり感がある案内看板が立っています。
でも、正しくは上野国一社八幡宮という
重々しい名前の神社です。
前から18号を通る旅に気にはなっていたのですが
初めて参拝してみました。
国道18号線を曲がり、大きな赤い鳥居をくぐると、
正面にそれらしい建物が見えてきました。

しかし、あれ、寺?
なんだか神社らしい造りではありません。

でもよく見るとちょろっと鳥居らしきものも見えています。
半信半疑で正面の門の左手にまわり、
駐車場に車を駐めて境内に入ります。
すると、正面の門から階段を上がったところに、
ちゃんと鳥居がありました。
その鳥居越しに下の参道を見下ろすと、
遠くに赤い鳥居が見えますが、これが国道18号沿いにある
大きな鳥居です。

拝殿は、権現造りで、建物だけ見ると
碓氷川を挟んで反対側にある少林山達磨寺の本堂に
そっくりです。

しかし、神社の門の数は社格の高さを表すと言いますが、
鳥居と本堂の間には、もう一つの門があり、
かなり由緒ある神社だろうと調べてみたら、
何と創建は957年。
新田氏や足利氏、武田氏などの崇敬を受け、
江戸時代には徳川幕府から100石の朱印地を寄進されていたそうです。
しかも鐘楼もあるので、おそらく江戸時代までは神仏習合だったのではないかと思います。

実際、隣には大聖護国寺という寺院が。
なんと、東京音羽の護国寺の元になった寺だそうで、
なかなか格式の高そうなこの神社とも関係があったのかもしれません。
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