京都の日蓮宗本山めぐり
昨日の続きです。
二条城の次は、いよいよ京都の日蓮宗本山めぐりへ。
日蓮宗の寺院は、日蓮聖人が生まれた千葉県や
総本山を開き、墓所がある山梨県、
度重なる法難で流された伊豆や佐渡、
そして、もちろん東京にも多いのですが、
西日本ではダントツに多いのが京都。
総本山身延山久遠寺の次に七大本山というのがあり、
千葉の小湊・誕生寺、清澄寺、市川・中山の法華経寺、東京・池上の本門寺、
静岡・富士の北山本門寺の5ヵ寺が関東・静岡にあるのですが、
そして残り二つの本圀寺、妙顕寺はいずれも京都にあります。
なので、大本山としては、千葉に次ぐ大勢力。
既に関東・静岡にある5ヵ寺はすべて参拝済みなので、
残る2ヵ寺をせっかく関西に出かけたこの機会に参拝しようという魂胆です。
さらに、大本山の二ヵ寺だけではなく、京都八本山というのがあり、
本圀寺、妙顕寺のほかに、妙覚寺、本法寺、頂妙寺、妙傳寺、立本寺、本満寺があります。
あわよくば、これをすべて回ってみようと野心的な企画を立てました。
千年の古都は、今や海外からもインバウンドが大勢訪れる、世界の古都。
しかし、その最大の弱点は、あまたある名所旧跡を巡る市内の交通機関が
ほぼバスしかないこと。
碁盤の目の京都ですが、その碁盤の目を縦横に走るバスは
バス停の位置や乗り換えなどが事前に調べてもなかなか難しく、
老親と一緒に移動するには少しハードルが高い。
ということで、少しでも多くの寺を廻ろうと、MKの観光タクシーをチャーターしたのですが、
こうした観光寺院ではない鄙びた寺院を廻るのにはうってつけ。
京都の狭い路地も、迷わず抜けて、二条城から程なく
最初の目的地である妙覚寺に到着しました。

この妙覚寺、戦国時代にはかの織田信長の定宿だったといわれる寺院。
今でこそ、京都のほかの大寺院から比べるとこぢんまりとした(でも大きい)寺域ですが、
かつては今とは別の場所に、広大な寺域を持っていたそうです。
普段は妙覚寺に泊まるのに、たまたま本能寺に泊まった際に
かの有名な本能寺の変が起きたそうです。
もしこの妙覚寺に織田信長が宿泊していたら、日本の歴史が変わっていたかも知れませんね。

この妙覚寺がある堀川寺ノ内エリアには、日蓮宗の大寺院が集結。
そこからほどない位置に、次の目的地、本法寺があります。

こちらは立派な山門が。

その山門をくぐると、立派な多宝塔。


本堂前には、江戸時代のマルチ芸術家、本阿弥光悦の像が建っています。

先の妙覚寺が織田信長の宿所ならば、こちらは本阿弥家の菩提寺。
なので、境内には本阿弥光悦作の「巴の庭」という味わい深い庭が残されています。

よく手入れされていて、古さを感じさせません。

そして、苔庭の中心には蓮池が。

注目はその左に置かれた丸い敷石。
実はこの丸い石は真ん中で一直線に切れ目が入っています。
何かお気づきですか?
そう、丸の真ん中に一本線が入り、「日」と読めますね。
で、「蓮」の池ということは・・・そうなんです「日蓮」と読めますね。
なかなかやるなぁ、本阿弥光悦。
さらにこの本法寺には長谷川等伯も一時身を寄せていたことがあり、
そのときに書いた巨大な涅槃図が残されています。
レプリカが展示されていたので、拝観できたのですが、
それはそれは見事。毎年春先に公開しているそうなので、是非ホンモノを見てみたい
素晴らしい涅槃図でした。
本法寺をあとに、歩いてこれまたすぐ近くにある大本山妙顕寺に。

こちらは先ほどご紹介した、日蓮宗七大本山の一つ。
今までの二ヵ寺も立派でしたが、こちらはさらに後醍醐天皇の勅願寺ということで
山門に菊のご紋が付いた看板が掲げられています。
そして、ここは聚楽第が完成するまでかの関白秀吉の宿所だったそうです。
場所は今のところではなかったようですが。
そしてその秀吉の命により、現在地に移転したそうです。

この妙顕寺は、鎌倉時代後期に京都で初めての日蓮宗寺院として
日蓮聖人の孫弟子に当たる日像上人により開かれた寺。
京都でも迫害に遭いつつ世の中(四海)に布教(唱導)したと言うことで
四海唱導の寺とも言われています。

3ヵ寺とも、京都の中心部にありながら観光客の姿は少なく
落ち着いて参拝できます。
そして、それぞれ庫裡でお願いして御首題をいただきました。
上から参拝順に、妙覚寺。

こちらは、若いお上人様に書いていただいたものです。
今回京都の日蓮宗寺院を廻るつもりと申し上げたら、
とても褒めていただきました。
お次は本法寺。

この本法寺、書院の改装中で、本来は拝観できなかったそうなのですが、
我が家は日蓮宗で、長野から参拝に来たことをお伝えすると、
ありがたいことに拝観させていただきました。
御首題に「なべかむり日親」とありますが、
迫害に遭い、熱い鉄鍋をかぶらされても布教を止めなかった開祖日親上人のことだそうです。
そして最後は、ずっと頂きたかった妙顕寺の御首題。

独特の、揺れるような書体のお題目は、
「波ゆり題目」と呼ばれ、開祖日像上人が京都に不況に来る前に、
鎌倉の由比ヶ浜で布教が上手くいくように百か日に渡り海中で祈願したところ、
その最終日に海に描いたお題目が、波に揺れるように金色に輝いて見えたといういわれから、
今のような独創的な御首題になったそうです。
ここまでわずか1時間あまり。これならあちこち予定通り参拝できそうです。
お次も日蓮宗、ではなくて、日蓮宗寺院は少しお休みして、
京都で最大級の非公開寺院が公開中なので、
そこに行ってみることにしました。
続きはまた明日。
次の目標300万アクセスに向けて、
本日も盛大にポチッとよろしくお願いいたします!

にほんブログ村

長野県ランキング
二条城の次は、いよいよ京都の日蓮宗本山めぐりへ。
日蓮宗の寺院は、日蓮聖人が生まれた千葉県や
総本山を開き、墓所がある山梨県、
度重なる法難で流された伊豆や佐渡、
そして、もちろん東京にも多いのですが、
西日本ではダントツに多いのが京都。
総本山身延山久遠寺の次に七大本山というのがあり、
千葉の小湊・誕生寺、清澄寺、市川・中山の法華経寺、東京・池上の本門寺、
静岡・富士の北山本門寺の5ヵ寺が関東・静岡にあるのですが、
そして残り二つの本圀寺、妙顕寺はいずれも京都にあります。
なので、大本山としては、千葉に次ぐ大勢力。
既に関東・静岡にある5ヵ寺はすべて参拝済みなので、
残る2ヵ寺をせっかく関西に出かけたこの機会に参拝しようという魂胆です。
さらに、大本山の二ヵ寺だけではなく、京都八本山というのがあり、
本圀寺、妙顕寺のほかに、妙覚寺、本法寺、頂妙寺、妙傳寺、立本寺、本満寺があります。
あわよくば、これをすべて回ってみようと野心的な企画を立てました。
千年の古都は、今や海外からもインバウンドが大勢訪れる、世界の古都。
しかし、その最大の弱点は、あまたある名所旧跡を巡る市内の交通機関が
ほぼバスしかないこと。
碁盤の目の京都ですが、その碁盤の目を縦横に走るバスは
バス停の位置や乗り換えなどが事前に調べてもなかなか難しく、
老親と一緒に移動するには少しハードルが高い。
ということで、少しでも多くの寺を廻ろうと、MKの観光タクシーをチャーターしたのですが、
こうした観光寺院ではない鄙びた寺院を廻るのにはうってつけ。
京都の狭い路地も、迷わず抜けて、二条城から程なく
最初の目的地である妙覚寺に到着しました。

この妙覚寺、戦国時代にはかの織田信長の定宿だったといわれる寺院。
今でこそ、京都のほかの大寺院から比べるとこぢんまりとした(でも大きい)寺域ですが、
かつては今とは別の場所に、広大な寺域を持っていたそうです。
普段は妙覚寺に泊まるのに、たまたま本能寺に泊まった際に
かの有名な本能寺の変が起きたそうです。
もしこの妙覚寺に織田信長が宿泊していたら、日本の歴史が変わっていたかも知れませんね。

この妙覚寺がある堀川寺ノ内エリアには、日蓮宗の大寺院が集結。
そこからほどない位置に、次の目的地、本法寺があります。

こちらは立派な山門が。

その山門をくぐると、立派な多宝塔。


本堂前には、江戸時代のマルチ芸術家、本阿弥光悦の像が建っています。

先の妙覚寺が織田信長の宿所ならば、こちらは本阿弥家の菩提寺。
なので、境内には本阿弥光悦作の「巴の庭」という味わい深い庭が残されています。

よく手入れされていて、古さを感じさせません。

そして、苔庭の中心には蓮池が。

注目はその左に置かれた丸い敷石。
実はこの丸い石は真ん中で一直線に切れ目が入っています。
何かお気づきですか?
そう、丸の真ん中に一本線が入り、「日」と読めますね。
で、「蓮」の池ということは・・・そうなんです「日蓮」と読めますね。
なかなかやるなぁ、本阿弥光悦。
さらにこの本法寺には長谷川等伯も一時身を寄せていたことがあり、
そのときに書いた巨大な涅槃図が残されています。
レプリカが展示されていたので、拝観できたのですが、
それはそれは見事。毎年春先に公開しているそうなので、是非ホンモノを見てみたい
素晴らしい涅槃図でした。
本法寺をあとに、歩いてこれまたすぐ近くにある大本山妙顕寺に。

こちらは先ほどご紹介した、日蓮宗七大本山の一つ。
今までの二ヵ寺も立派でしたが、こちらはさらに後醍醐天皇の勅願寺ということで
山門に菊のご紋が付いた看板が掲げられています。
そして、ここは聚楽第が完成するまでかの関白秀吉の宿所だったそうです。
場所は今のところではなかったようですが。
そしてその秀吉の命により、現在地に移転したそうです。

この妙顕寺は、鎌倉時代後期に京都で初めての日蓮宗寺院として
日蓮聖人の孫弟子に当たる日像上人により開かれた寺。
京都でも迫害に遭いつつ世の中(四海)に布教(唱導)したと言うことで
四海唱導の寺とも言われています。

3ヵ寺とも、京都の中心部にありながら観光客の姿は少なく
落ち着いて参拝できます。
そして、それぞれ庫裡でお願いして御首題をいただきました。
上から参拝順に、妙覚寺。

こちらは、若いお上人様に書いていただいたものです。
今回京都の日蓮宗寺院を廻るつもりと申し上げたら、
とても褒めていただきました。
お次は本法寺。

この本法寺、書院の改装中で、本来は拝観できなかったそうなのですが、
我が家は日蓮宗で、長野から参拝に来たことをお伝えすると、
ありがたいことに拝観させていただきました。
御首題に「なべかむり日親」とありますが、
迫害に遭い、熱い鉄鍋をかぶらされても布教を止めなかった開祖日親上人のことだそうです。
そして最後は、ずっと頂きたかった妙顕寺の御首題。

独特の、揺れるような書体のお題目は、
「波ゆり題目」と呼ばれ、開祖日像上人が京都に不況に来る前に、
鎌倉の由比ヶ浜で布教が上手くいくように百か日に渡り海中で祈願したところ、
その最終日に海に描いたお題目が、波に揺れるように金色に輝いて見えたといういわれから、
今のような独創的な御首題になったそうです。
ここまでわずか1時間あまり。これならあちこち予定通り参拝できそうです。
お次も日蓮宗、ではなくて、日蓮宗寺院は少しお休みして、
京都で最大級の非公開寺院が公開中なので、
そこに行ってみることにしました。
続きはまた明日。
次の目標300万アクセスに向けて、
本日も盛大にポチッとよろしくお願いいたします!

にほんブログ村

長野県ランキング
- 関連記事
-
- 茶道の町と相国寺 (2018/05/18)
- 京都の日蓮宗本山めぐり (2018/05/16)
- ゴールデンウイーク初日は限定御朱印を求めて新町・於菊稲荷神社へ (2018/04/28)