高野山に行って来た-4 高野山奥の院
6月も半月が終わりました。
さすがに先週あたりからは梅雨本番な陽気。
おまけに、軽井沢は梅雨寒。
最も、東京も今日は結構気温が低かったですけどね。
さすがは軽井沢で、駅前を行き交う人の中には薄手のダウンを羽織っている人も居ました。
この週末も、気温が低そうな軽井沢。
来られる方は、服装にお気をつけください。
さて、引き続き高野山の続きです。
壇上伽藍を参拝後、奥の院に連なる参道を歩いて東に向かいます。
しかし、本当に良い天気でよかった。

さて、壇上伽藍の建物、度重なる火災で
意外に新しい建物が多いのですが、
こちらの鄙びた不動堂は鎌倉時代に建てられたもので、
国宝。

鄙びた不動堂と、青空に映える根本大塔との対比が
またなかなか絵になる光景です。

さらに参道を東に向かうと、今度は東塔。

こちらも新しく、昭和59年に再建されたものだそうです。
こうしてみると、今でこそ堂宇が立ち並ぶ高野山ですが、
半世紀ぐらい前は結構空き地らだけ、だったのかも知れませんね。
ここからは、いよいよ参道らしくなります。

本格的な巡礼者さんなら、このまま歩いて奥の院に向かうのでしょうが、
我が家は参道入り口にあるバス停から山内バスに乗って奥の院入り口にワープ。

ここからは、およそ2キロの参道を歩いて奥の院に向かいます。
この奥の院の参道は、両脇に武将や企業のお墓、慰霊碑が並ぶので有名。
もちろん、ここに埋葬されているわけではないのでしょうが。
早速参道入り口を入って、ほどないところに、こんなお墓がありました。

苔むした五輪塔は、武田信玄と勝頼のもの。

我が家のルーツは甲州ですので、もちろん参拝します。
実はこの近くに真田家の墓所もあったそうなのですが、うっかり見落としてしまいました。
しかし、鬱蒼とした杉木立の中に無数の苔むした墓石が立ち並ぶ奥の院参道は
独特の雰囲気。

途中に少し段差などもありますが、
綺麗に整備されているので、思っていたよりとても歩きやすい参道です。


いよいよ奥の院の中心、燈籠堂が見えてきました。


この燈籠堂の前にかかる御廟橋から先は写真撮影禁止。
御廟橋の手前で一礼して橋を渡る、というのが参拝のマナーとされています。
ご多分に漏れず高野山もインバウンドがとても多いのですが、
見たところ、というより離している言葉から一番多いのはフランス系の人。
そんな外人の方々も、ちゃんと一礼して進んでいたので、
ガイドブックや情報源となるSNSなどに
参拝マナーがちゃんと書かれているのでしょうね。
きちんと一礼してから進む姿は、なかなか美しい光景でした。
ということで、写真はありませんが、燈籠堂の堂内の中心は
大きく窓が開いていて、そこから奥の弘法大師の御廟が見えるようになっています。
まずはここで参拝し、さらに背後に回って御廟にも参拝してきました。
深い緑の中に、未だ弘法大師が肉身をとどめていると信じられている小さなお堂は
とても神秘的。我が家も心を込めて参拝してきました。
最後に、御朱印を。

今までいただいた御朱印の中でも、一番ありがたい御朱印かも知れません。
さて、奥の院の帰りは最初に来た一の橋に連なるルートではなく、
バスのターミナルになっている中の橋に向かいます。
鬱蒼とした杉木立の中を進む先ほどの参道とは異なり、
こちらは開けた、まだ真新しい墓石・供養塔が並ぶエリア。
そして、よく知っている企業の大きな供養塔などが並んでいます。
こちらはキリングループの供養塔。


そして、中にはこんなユニークなものも。

ロケット型の供養塔は、新明和工業のものでした。
こちらの参道の方が距離が短く、程なく中の橋に到着。

ちょうど昼時だったので、軽く昼飯を食べて、
次の目的地にバスで向かいます。
次の目的地は、今回の旅のもう一つのテーマにまつわる場所です。
次の目標300万アクセスに向けて、
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さすがに先週あたりからは梅雨本番な陽気。
おまけに、軽井沢は梅雨寒。
最も、東京も今日は結構気温が低かったですけどね。
さすがは軽井沢で、駅前を行き交う人の中には薄手のダウンを羽織っている人も居ました。
この週末も、気温が低そうな軽井沢。
来られる方は、服装にお気をつけください。
さて、引き続き高野山の続きです。
壇上伽藍を参拝後、奥の院に連なる参道を歩いて東に向かいます。
しかし、本当に良い天気でよかった。

さて、壇上伽藍の建物、度重なる火災で
意外に新しい建物が多いのですが、
こちらの鄙びた不動堂は鎌倉時代に建てられたもので、
国宝。

鄙びた不動堂と、青空に映える根本大塔との対比が
またなかなか絵になる光景です。

さらに参道を東に向かうと、今度は東塔。

こちらも新しく、昭和59年に再建されたものだそうです。
こうしてみると、今でこそ堂宇が立ち並ぶ高野山ですが、
半世紀ぐらい前は結構空き地らだけ、だったのかも知れませんね。
ここからは、いよいよ参道らしくなります。

本格的な巡礼者さんなら、このまま歩いて奥の院に向かうのでしょうが、
我が家は参道入り口にあるバス停から山内バスに乗って奥の院入り口にワープ。

ここからは、およそ2キロの参道を歩いて奥の院に向かいます。
この奥の院の参道は、両脇に武将や企業のお墓、慰霊碑が並ぶので有名。
もちろん、ここに埋葬されているわけではないのでしょうが。
早速参道入り口を入って、ほどないところに、こんなお墓がありました。

苔むした五輪塔は、武田信玄と勝頼のもの。

我が家のルーツは甲州ですので、もちろん参拝します。
実はこの近くに真田家の墓所もあったそうなのですが、うっかり見落としてしまいました。
しかし、鬱蒼とした杉木立の中に無数の苔むした墓石が立ち並ぶ奥の院参道は
独特の雰囲気。

途中に少し段差などもありますが、
綺麗に整備されているので、思っていたよりとても歩きやすい参道です。


いよいよ奥の院の中心、燈籠堂が見えてきました。


この燈籠堂の前にかかる御廟橋から先は写真撮影禁止。
御廟橋の手前で一礼して橋を渡る、というのが参拝のマナーとされています。
ご多分に漏れず高野山もインバウンドがとても多いのですが、
見たところ、というより離している言葉から一番多いのはフランス系の人。
そんな外人の方々も、ちゃんと一礼して進んでいたので、
ガイドブックや情報源となるSNSなどに
参拝マナーがちゃんと書かれているのでしょうね。
きちんと一礼してから進む姿は、なかなか美しい光景でした。
ということで、写真はありませんが、燈籠堂の堂内の中心は
大きく窓が開いていて、そこから奥の弘法大師の御廟が見えるようになっています。
まずはここで参拝し、さらに背後に回って御廟にも参拝してきました。
深い緑の中に、未だ弘法大師が肉身をとどめていると信じられている小さなお堂は
とても神秘的。我が家も心を込めて参拝してきました。
最後に、御朱印を。

今までいただいた御朱印の中でも、一番ありがたい御朱印かも知れません。
さて、奥の院の帰りは最初に来た一の橋に連なるルートではなく、
バスのターミナルになっている中の橋に向かいます。
鬱蒼とした杉木立の中を進む先ほどの参道とは異なり、
こちらは開けた、まだ真新しい墓石・供養塔が並ぶエリア。
そして、よく知っている企業の大きな供養塔などが並んでいます。
こちらはキリングループの供養塔。


そして、中にはこんなユニークなものも。

ロケット型の供養塔は、新明和工業のものでした。
こちらの参道の方が距離が短く、程なく中の橋に到着。

ちょうど昼時だったので、軽く昼飯を食べて、
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次の目的地は、今回の旅のもう一つのテーマにまつわる場所です。
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