真田の足跡を巡る旅-2 九度山・善名称院と女人高野・慈尊院
高野山からバス、ケーブルカー、そして南海高野線を乗り継いで
特急の次の停車駅、橋本までやってきました。
ここは、和歌山県の紀伊山地の北側を流れる紀ノ川に沿った町で、
高野山への玄関口となります。
次の目的地、九度山はここから各駅停車で引き返すという手があったのですが、
その後のことも考え、橋本でレンタカーを借りて九度山へ向かいます。

しかし、すでにご紹介した南海高野線の九度山駅も
ここは上田電鉄の駅ではないかと見まごうばかりの真田仕様でしたが、
九度山の町内も六文銭の旗だらけ。

周りもそれほど高くはない山に囲まれており、
なんだか上田市内にいるのではないかと錯覚したような感じになります。
九度山で、目指すのはこちら。

真田昌幸、真田幸村親子が蟄居させられた館跡にたつと言われる
通称真田庵の善名称院です。

まだ真新しい看板は、一昨年の真田丸放映に合わせて作られたものでしょうか?
しかし、右手の古い丸瓦にはしっかりと六文銭がついているので、
正真正銘、ここが真田家ゆかりの場所だと言うことがわかります。
寺院、なのでしょうが、なんだか普通の古いお屋敷、といった建物。

入り口に、善名称院と看板が掛かっていなければ
普通のお宅と勘違いしそうです。

しかし、その左手に残念な張り紙が。
あらら、御朱印いただけないんだ・・・
普通のお宅のようで、どこで拝んでよいか分からなかったので、
こちらを拝んできました。

この地でなくなった、真田昌幸のお墓。
真田昌幸のお墓は、真田の長谷寺にもありますが、
おそらく実際に埋葬されているのはここのはず。
地元から詣でたので、心を込めてお参りしてきました。
しかし、今回はここまでだいぶ寄り道しながら来ていますが、
新幹線がある今日でも軽井沢からここまでは乗っている時間だけで
5時間近くもかかります。
ましてや、馬しか交通手段がないときに、
上田からこんなはるばる離れたところまで来ることを考えると、
気が遠くなりそうですね。
地形を見ると、ここ九度山は紀ノ川の河岸段丘の上にあり、周りは山々。
千曲川の河岸段丘上にある上田にも似た雰囲気がある場所なので、
周りの景色を見ながら物思いにふけっていたのかもしれません。
さて、この善名称院の周りを少し散策したのですが、
なかなかよい雰囲気。

近くには、資料館などもあるようですが、
こちらはパスして、次の目的地に向かいました。
同じ九度山町にある、慈尊院です

この慈尊院は高野山の参詣道の入り口にある寺。
本来は紀ノ川を渡り、この門の先に続く参詣道を進んで高野山に行く前に、
この寺で道中の安全を祈願して詣でたと言います。
また、高野山を開創した弘法大師空海の母、玉依御前が四国・善通寺より
息子・空海が開創した高野山を一目見ようと訪ねてきた際、
高野山は女人禁制としていたため、この寺に滞在し、
そこに弘法大師空海が月に9度も30キロ近い山道を下り、
母に会いに来たそう。そこで、この地が九度山と呼ばれるようになったという
いわれが残っています。
そんなこともあってか、女性が高野山を参詣する場合には、
こぞってこの寺に詣でたことから、女人高野と言われています。
子宝・安産から極楽往生まで、女性の願いことはすべてかなうと言われているそうで、
境内にはおっぱい型の絵馬がたくさん奉納されていました。
境内には、高野山と同様多宝塔が。

その奥に、長い階段がありますが、ここが高野山の参詣道の始まりだそうです。
山道を30キロ・・・先ほど乗った南海高野線でも相当な距離と、相当な標高差があったので
それを考えると気が遠くなりそうです。
まずは、弘法大師自刻の弥勒菩薩を祀るという玉依御前の御廟
弥勒堂で参拝。

こちらでは、御朱印をいただけました。
女人高野、にしては雄渾な御朱印です。

本来ならば、紀ノ川から続くこの道を上ってこの慈尊院に詣で
それから高野山に詣でるというのが正しい順番なのでしょうが、
我が家はちょっと逆になってしまいました。

この道を下って、我が家はレンタカーで次の目的地に向かいます。
次の目的地は、泉州・堺です。
次の目標300万アクセスに向けて、
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特急の次の停車駅、橋本までやってきました。
ここは、和歌山県の紀伊山地の北側を流れる紀ノ川に沿った町で、
高野山への玄関口となります。
次の目的地、九度山はここから各駅停車で引き返すという手があったのですが、
その後のことも考え、橋本でレンタカーを借りて九度山へ向かいます。

しかし、すでにご紹介した南海高野線の九度山駅も
ここは上田電鉄の駅ではないかと見まごうばかりの真田仕様でしたが、
九度山の町内も六文銭の旗だらけ。

周りもそれほど高くはない山に囲まれており、
なんだか上田市内にいるのではないかと錯覚したような感じになります。
九度山で、目指すのはこちら。

真田昌幸、真田幸村親子が蟄居させられた館跡にたつと言われる
通称真田庵の善名称院です。

まだ真新しい看板は、一昨年の真田丸放映に合わせて作られたものでしょうか?
しかし、右手の古い丸瓦にはしっかりと六文銭がついているので、
正真正銘、ここが真田家ゆかりの場所だと言うことがわかります。
寺院、なのでしょうが、なんだか普通の古いお屋敷、といった建物。

入り口に、善名称院と看板が掛かっていなければ
普通のお宅と勘違いしそうです。

しかし、その左手に残念な張り紙が。
あらら、御朱印いただけないんだ・・・
普通のお宅のようで、どこで拝んでよいか分からなかったので、
こちらを拝んできました。

この地でなくなった、真田昌幸のお墓。
真田昌幸のお墓は、真田の長谷寺にもありますが、
おそらく実際に埋葬されているのはここのはず。
地元から詣でたので、心を込めてお参りしてきました。
しかし、今回はここまでだいぶ寄り道しながら来ていますが、
新幹線がある今日でも軽井沢からここまでは乗っている時間だけで
5時間近くもかかります。
ましてや、馬しか交通手段がないときに、
上田からこんなはるばる離れたところまで来ることを考えると、
気が遠くなりそうですね。
地形を見ると、ここ九度山は紀ノ川の河岸段丘の上にあり、周りは山々。
千曲川の河岸段丘上にある上田にも似た雰囲気がある場所なので、
周りの景色を見ながら物思いにふけっていたのかもしれません。
さて、この善名称院の周りを少し散策したのですが、
なかなかよい雰囲気。

近くには、資料館などもあるようですが、
こちらはパスして、次の目的地に向かいました。
同じ九度山町にある、慈尊院です

この慈尊院は高野山の参詣道の入り口にある寺。
本来は紀ノ川を渡り、この門の先に続く参詣道を進んで高野山に行く前に、
この寺で道中の安全を祈願して詣でたと言います。
また、高野山を開創した弘法大師空海の母、玉依御前が四国・善通寺より
息子・空海が開創した高野山を一目見ようと訪ねてきた際、
高野山は女人禁制としていたため、この寺に滞在し、
そこに弘法大師空海が月に9度も30キロ近い山道を下り、
母に会いに来たそう。そこで、この地が九度山と呼ばれるようになったという
いわれが残っています。
そんなこともあってか、女性が高野山を参詣する場合には、
こぞってこの寺に詣でたことから、女人高野と言われています。
子宝・安産から極楽往生まで、女性の願いことはすべてかなうと言われているそうで、
境内にはおっぱい型の絵馬がたくさん奉納されていました。
境内には、高野山と同様多宝塔が。

その奥に、長い階段がありますが、ここが高野山の参詣道の始まりだそうです。
山道を30キロ・・・先ほど乗った南海高野線でも相当な距離と、相当な標高差があったので
それを考えると気が遠くなりそうです。
まずは、弘法大師自刻の弥勒菩薩を祀るという玉依御前の御廟
弥勒堂で参拝。

こちらでは、御朱印をいただけました。
女人高野、にしては雄渾な御朱印です。

本来ならば、紀ノ川から続くこの道を上ってこの慈尊院に詣で
それから高野山に詣でるというのが正しい順番なのでしょうが、
我が家はちょっと逆になってしまいました。

この道を下って、我が家はレンタカーで次の目的地に向かいます。
次の目的地は、泉州・堺です。
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