真田の足跡巡り番外編 堺・妙國寺
あと少しなので、このゴールデンウィークの高野山大旅行の続きを
片付けてしまいましょう。
早いもので、もう4ヶ月・・・
さて、高野山詣の後は、真田の足跡巡りと称して、
真田昌幸、真田幸村親子が幽閉された九度山へ。
そこから、大阪へ戻り、新大阪から新幹線で帰ってくる、
という予定なのですが、大阪への帰りがけに、まだ寺参りを続けます。
九度山からレンタカーで向かうのは、堺。
今でこそ、大阪のベッドタウンになっていますが、
安土桃山時代に海外に向けて開かれた交易の拠点です。
そんな堺には、今でも当時の繁栄を伝える、こんな町並みも
まだわずかに残っています。

そんな堺で向かったのは、こちらの寺。

日蓮宗本山の妙國寺です。
見たところ、コンクリートで作られた真新しい本堂のように見えますが、
看板には菊のご紋がついているので、この寺の寺格の高さがうかがえます。
この寺、いろいろな逸話がたくさんある寺院で、
まず有名なのは霊木の大蘇鉄。
これは、織田信長が安土城に移植したところ、
よなよなこの大蘇鉄が堺の妙國寺に帰りたいと泣くため、
怒った織田信長が切り倒すよう命じました。
すると、斧を振り上げた家来が皆血を吐いて倒れるため、
さしもの信長も、たたりを恐れて妙國寺に返したそうです。
すっかり樹勢が衰え、枯れかけたため、
妙國寺開山の日珖上人が法華経を唱えたところ、
根元に鉄分を埋めれば蘇生するとお告げがあり、
早速鍛冶屋に頼んで鉄くずを埋めたら見事に蘇生したので、
蘇鉄の前に宇賀神堂を祀り、今でも多くの方が詣でているそうです。

そんな説明を、本堂下の寺務所に詰めている、ボランティアの方が
丁寧に説明してくれます。

そしてもう一つ有名なのが、本能寺の変が起きたとき、
堺を漫遊中だった徳川家康が泊まっていたのがこの妙國寺。
一昨年の大河ドラマ、真田丸では、情けない姿で命からがら堺から浜松に逃げ帰る、
伊賀越えのシーンがありましたが、あの出発地が、まさにこの妙國寺でした。
また幕末には、土佐藩士がフランス軍兵士を殺傷した堺事件で、
フランス軍兵士に手をかけた土佐藩士20人の切腹の場となったのが
この妙國寺だったとか。
あまりに凄惨な切腹の光景に、当のフランス軍の要請で途中で中止になったという
逸話が残っており、切腹した土佐藩士の供養塔などがたっています。
と、あまりにいろんな逸話があるのは、関西の古刹ならでは。
今では、堺市中心部の、それでも広大な寺域ですが、
かつては堺でも有数の寺域を持つ大寺院だったそうで、
戦前までは江戸時代からの堂宇や三重塔が残っていたそうですが、
堺大空襲で消失し、今の本堂は昭和48年に再建されたものだそうです。
説明いただいた、ボランティアの方に軽井沢から詣でたことと、
我が家が日蓮宗であることをお伝えすると、
本堂でご本尊に手をあわさせていただきました。
どうもありがとうございました。
最後に御首題を。書き置きで、ボランティアの方からいただきました。

このあと、大和川を挟んで反対側にある住吉大社も参拝しようかと思ったのですが、
九度山からの道が結構混んでいて、新幹線の時間まで余り時間がなくなってしまったので、
住吉大社はパスして次の場所へ。
お次はここだけは行きたかった、真田丸です!
次の目標300万アクセスに向けて、
本日も盛大にポチッとよろしくお願いいたします!

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さて、高野山詣の後は、真田の足跡巡りと称して、
真田昌幸、真田幸村親子が幽閉された九度山へ。
そこから、大阪へ戻り、新大阪から新幹線で帰ってくる、
という予定なのですが、大阪への帰りがけに、まだ寺参りを続けます。
九度山からレンタカーで向かうのは、堺。
今でこそ、大阪のベッドタウンになっていますが、
安土桃山時代に海外に向けて開かれた交易の拠点です。
そんな堺には、今でも当時の繁栄を伝える、こんな町並みも
まだわずかに残っています。

そんな堺で向かったのは、こちらの寺。

日蓮宗本山の妙國寺です。
見たところ、コンクリートで作られた真新しい本堂のように見えますが、
看板には菊のご紋がついているので、この寺の寺格の高さがうかがえます。
この寺、いろいろな逸話がたくさんある寺院で、
まず有名なのは霊木の大蘇鉄。
これは、織田信長が安土城に移植したところ、
よなよなこの大蘇鉄が堺の妙國寺に帰りたいと泣くため、
怒った織田信長が切り倒すよう命じました。
すると、斧を振り上げた家来が皆血を吐いて倒れるため、
さしもの信長も、たたりを恐れて妙國寺に返したそうです。
すっかり樹勢が衰え、枯れかけたため、
妙國寺開山の日珖上人が法華経を唱えたところ、
根元に鉄分を埋めれば蘇生するとお告げがあり、
早速鍛冶屋に頼んで鉄くずを埋めたら見事に蘇生したので、
蘇鉄の前に宇賀神堂を祀り、今でも多くの方が詣でているそうです。

そんな説明を、本堂下の寺務所に詰めている、ボランティアの方が
丁寧に説明してくれます。

そしてもう一つ有名なのが、本能寺の変が起きたとき、
堺を漫遊中だった徳川家康が泊まっていたのがこの妙國寺。
一昨年の大河ドラマ、真田丸では、情けない姿で命からがら堺から浜松に逃げ帰る、
伊賀越えのシーンがありましたが、あの出発地が、まさにこの妙國寺でした。
また幕末には、土佐藩士がフランス軍兵士を殺傷した堺事件で、
フランス軍兵士に手をかけた土佐藩士20人の切腹の場となったのが
この妙國寺だったとか。
あまりに凄惨な切腹の光景に、当のフランス軍の要請で途中で中止になったという
逸話が残っており、切腹した土佐藩士の供養塔などがたっています。
と、あまりにいろんな逸話があるのは、関西の古刹ならでは。
今では、堺市中心部の、それでも広大な寺域ですが、
かつては堺でも有数の寺域を持つ大寺院だったそうで、
戦前までは江戸時代からの堂宇や三重塔が残っていたそうですが、
堺大空襲で消失し、今の本堂は昭和48年に再建されたものだそうです。
説明いただいた、ボランティアの方に軽井沢から詣でたことと、
我が家が日蓮宗であることをお伝えすると、
本堂でご本尊に手をあわさせていただきました。
どうもありがとうございました。
最後に御首題を。書き置きで、ボランティアの方からいただきました。

このあと、大和川を挟んで反対側にある住吉大社も参拝しようかと思ったのですが、
九度山からの道が結構混んでいて、新幹線の時間まで余り時間がなくなってしまったので、
住吉大社はパスして次の場所へ。
お次はここだけは行きたかった、真田丸です!
次の目標300万アクセスに向けて、
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