塩山・恵林寺と甲府酒折・甲斐善光寺
考えてみたら、このところ山梨の話ばかりですね。
なにしろ、三連休は身延、先週は清里に行っていたので。
ということで、今日も山梨の話です。
勝沼の大善寺でご開帳中の薬師如来を拝んだ後、
塩山へ。
勝沼、塩山と書いていますが、今はまとめて甲州市。
市町村合併したからなのですが、
山梨県の市の名前は、甲府市、甲斐市、甲州市、山梨市と、
なんだか紛らわしい名前ばかり。
甲府市は、もちろん県庁所在地ですが、
甲斐市は駅名で言うと竜王、山梨市は駅名もそのまま山梨市です。
元は日下部といったようですね。
亡くなった山梨出身の我が家の祖父母は、日下部と言っていました。
そんなことはどうでもよくて、その甲州市塩山にある
武田信玄が葬られていることで有名な恵林寺へ。


今回、山梨出身なのに、行ったことがないという母のたっての希望で
塩山で待ち合わせして、この寺に寄ってから身延へ行く、
というのが当初の予定でした。
山梨県でも有数の格式を誇る乾徳山恵林寺は、
長い参道に、黒門、朱塗りの四脚門、そして三門と
三つの門をくぐって境内に向かいます。



三門の正面には、夢窓疎石、快川紹喜、末宗瑞曷の
三和尚の像を祀る開山堂。

そして、その裏にある門をさらにくぐると、
大きな方丈と庫裏が並びます。



武田信玄が菩提寺と定め、築き上げた建物は
織田信長の焼き討ちにより炎上し、
その後徳川家康が伽藍を再整備したそうですが、
その伽藍も明治時代に炎上し、今の建物は明治時代後期に再建されたものだそうです。
方丈前には、見事な枯山水の方丈庭園。

そして、方丈の裏には、開山の夢想国師が作ったという
見事な庭園があります。

そうそう、その方丈からウグイス張りの廊下を進むと、
武田信玄が生前に自らの姿を元に模刻させたという
不動明王を祀る明王堂があります、
その裏手にあるのが、この日は非公開だった武田信玄の墓所。
その脇には武田家重臣の墓所と、江戸時代に甲府城代をつとめ、
深く帰依したという柳沢吉保の墓所があります。
庫裏の入り口で御朱印帳を預けていたので、
方丈内を詣でた後、最後に御朱印をいただきましたが、
方丈に祀る釈迦如来ではなく、武田不動尊の御朱印です。

恵林寺を後に、秩父から雁坂峠を越えてきた140号のバイパスで、
次の目的地、甲府市の酒折にある甲斐善光寺へ。

こちらも武田家ゆかりの寺院。
川中島の戦いの折、長野の善光寺に戦火が及ぶことを危惧した武田信玄が、
ご本尊の善光寺如来を甲府に避難するために建立しました。
その後武田家滅亡後に長野の善光寺に善光寺如来が戻った後、
前立本尊を祀り、徳川家により建立されたのが、こちらの本堂で、
見た目長野の善光寺にそっくり。

ただ参拝客の数はだいぶ違います。

昼過ぎに参拝しましたが、がら~んと。
それでも、本堂内には東日本最大級の鳴竜や
お戒壇巡りなどがあります。
なんだかどこにいるのか、ちょっと勘違いしそうになります。
御朱印も本堂内で。

いただいた御朱印を見て気づいたのですが、
山号も定額山で、長野と同じ山号なのですね。
このあと、あわよくば武田神社に行こうかと思ったのですが、
さすがに時間的にちょっと厳しかったので、
身延に向かいました。
そこからの話は、すでに書いたとおりで、お会式の万灯行列を
堪能しました。
さあて、その次の日の話にするか、
それとも、ほかの話にするか。
実はまだ、夏休みに詣でた寺の話題が、山のように残っているのです。
そして、実は昨年の今頃詣でた、飛騨高山と川越のお寺の話題も・・・
ますます御朱印ブログになってしまいそうなので、
ほかの話題も織り込みつつ、合間合間にまたご紹介していきますね。
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なにしろ、三連休は身延、先週は清里に行っていたので。
ということで、今日も山梨の話です。
勝沼の大善寺でご開帳中の薬師如来を拝んだ後、
塩山へ。
勝沼、塩山と書いていますが、今はまとめて甲州市。
市町村合併したからなのですが、
山梨県の市の名前は、甲府市、甲斐市、甲州市、山梨市と、
なんだか紛らわしい名前ばかり。
甲府市は、もちろん県庁所在地ですが、
甲斐市は駅名で言うと竜王、山梨市は駅名もそのまま山梨市です。
元は日下部といったようですね。
亡くなった山梨出身の我が家の祖父母は、日下部と言っていました。
そんなことはどうでもよくて、その甲州市塩山にある
武田信玄が葬られていることで有名な恵林寺へ。


今回、山梨出身なのに、行ったことがないという母のたっての希望で
塩山で待ち合わせして、この寺に寄ってから身延へ行く、
というのが当初の予定でした。
山梨県でも有数の格式を誇る乾徳山恵林寺は、
長い参道に、黒門、朱塗りの四脚門、そして三門と
三つの門をくぐって境内に向かいます。



三門の正面には、夢窓疎石、快川紹喜、末宗瑞曷の
三和尚の像を祀る開山堂。

そして、その裏にある門をさらにくぐると、
大きな方丈と庫裏が並びます。



武田信玄が菩提寺と定め、築き上げた建物は
織田信長の焼き討ちにより炎上し、
その後徳川家康が伽藍を再整備したそうですが、
その伽藍も明治時代に炎上し、今の建物は明治時代後期に再建されたものだそうです。
方丈前には、見事な枯山水の方丈庭園。

そして、方丈の裏には、開山の夢想国師が作ったという
見事な庭園があります。

そうそう、その方丈からウグイス張りの廊下を進むと、
武田信玄が生前に自らの姿を元に模刻させたという
不動明王を祀る明王堂があります、
その裏手にあるのが、この日は非公開だった武田信玄の墓所。
その脇には武田家重臣の墓所と、江戸時代に甲府城代をつとめ、
深く帰依したという柳沢吉保の墓所があります。
庫裏の入り口で御朱印帳を預けていたので、
方丈内を詣でた後、最後に御朱印をいただきましたが、
方丈に祀る釈迦如来ではなく、武田不動尊の御朱印です。

恵林寺を後に、秩父から雁坂峠を越えてきた140号のバイパスで、
次の目的地、甲府市の酒折にある甲斐善光寺へ。

こちらも武田家ゆかりの寺院。
川中島の戦いの折、長野の善光寺に戦火が及ぶことを危惧した武田信玄が、
ご本尊の善光寺如来を甲府に避難するために建立しました。
その後武田家滅亡後に長野の善光寺に善光寺如来が戻った後、
前立本尊を祀り、徳川家により建立されたのが、こちらの本堂で、
見た目長野の善光寺にそっくり。

ただ参拝客の数はだいぶ違います。

昼過ぎに参拝しましたが、がら~んと。
それでも、本堂内には東日本最大級の鳴竜や
お戒壇巡りなどがあります。
なんだかどこにいるのか、ちょっと勘違いしそうになります。
御朱印も本堂内で。

いただいた御朱印を見て気づいたのですが、
山号も定額山で、長野と同じ山号なのですね。
このあと、あわよくば武田神社に行こうかと思ったのですが、
さすがに時間的にちょっと厳しかったので、
身延に向かいました。
そこからの話は、すでに書いたとおりで、お会式の万灯行列を
堪能しました。
さあて、その次の日の話にするか、
それとも、ほかの話にするか。
実はまだ、夏休みに詣でた寺の話題が、山のように残っているのです。
そして、実は昨年の今頃詣でた、飛騨高山と川越のお寺の話題も・・・
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