足利の御朱印巡り-1 足利総鎮守・八雲神社
あまりネタもないので、先日車の点検帰りに足を伸ばした足利で、
もう何件か御朱印巡りをしたので、その話題をご紹介します。
さて、軽井沢に引っ越して、興味を持ったことがいろいろあるのですが、
その一つが鎌倉時代末期から、室町時代にかけての日本史。
私も学生時代から日本史は大好きだったのですが、
だいたい中学も、高校もこのあたり時代の授業は1学期の終わりから
2学期にかけての慌ただしい時期にあたることもあって、
なんか適当に教わった印象。
そもそも、鎌倉時代末期から室町時代初期は
相次ぐ元寇に疫病の流行、南北朝時代と、
足利義満の時代の南北朝合一ぐらいまで、
なんだか暗い話が多くて、本当に面白くありませんでした。
ところが軽井沢に来て、頻繁に群馬などの北関東に出かける機会、
特に御朱印巡りを始めてから、この界隈に登場する歴史上の人物は
何れも鎌倉時代末期から、室町時代初期にかけて活躍した歴史上の人物が
続々と登場します。
そもそも、その名前が地名として残っている。
たとえば、北条得宗家を滅ぼした新田義貞はジョイフル本田がある「新田」に縁があり、
応仁の乱の当事者となった山名宗全の名は、高崎の「山名」に縁があります。
そしてなんと言っても、室町幕府を開いた足利氏の本拠地は、「足利市」です。
その足利市、歴史があるだけではなくて、近世から現代にかけては
織物の産地としても非常に栄えました。
これは、群馬から栃木にかけての両毛線沿線は、みなそうですね。
伊勢崎、桐生、そして足利と、何れも日本を代表する織物の産地でした。
歴史があり、かつ近代日本の産業を支えた織物の産地には
古く、立派な町並みと、美味しい料理屋さん、そして立派な神社や寺院があります。
昨年、足利の中心部にある、鑁阿寺や織姫神社を参拝した際に、
他にもいろいろ参拝したい神社や寺院がたくさんあるのを見つけて
また行かなくちゃ、と思っていたのですが、
今回ようやく念願叶って、車の点検終了後に足利にやってきた、と言うわけです。
すでにご紹介しましたが、まずは日蓮宗本経寺で御首題を頂いたあと、
次に参拝したのが、こちらの神社でした。

足利市の中心部を流れる、渡良瀬川近くの高台に祀られている
八雲神社です。鳥居脇の提灯に書かれていますが、
「足利総鎮守」だそうです。
創建は非常に古く、平安時代初期の869年。
平将門の乱の際には藤原秀郷が戦勝祈願をした、という言い伝えもあるほど、
東国を代表する神社の一つだったそうです。
しかし、その割には階段上の社殿が新しく見える。

近づいて見ると、まだ白木の部分も残る、非常に新しい社殿です。

どうしたことかと思ったら、2012年に火災で全焼。
その後、2015年に伊勢神宮内宮別宮の月讀荒御魂宮から
式年遷宮の古材を譲り受け社殿を再建することとなり、
2017年に再建されたとのことです。
この神社、もう一つ有名なのが森高千里の「渡良瀬橋」にも
その名が登場する神社だったこと。
消失の際には、森高さん本人を始め、多くのファンの方から
再建に向けた寄付などが寄せられたそうです。

最後に御朱印を。
なんと、右には日本武尊の和歌が書かれています。
ご祭神は素戔嗚尊で、日本武尊が出雲大社から勧請したという
説もあるそうですので、それにちなんだものでしょうか。
また、左の御朱印には「東国第一勅願所」と記されていますが、
869年に清和天皇が京都の八坂神社などとともに
東国第一勅願所として創建したから、だそうです。
次の目標300万アクセスに向けて、
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さて、軽井沢に引っ越して、興味を持ったことがいろいろあるのですが、
その一つが鎌倉時代末期から、室町時代にかけての日本史。
私も学生時代から日本史は大好きだったのですが、
だいたい中学も、高校もこのあたり時代の授業は1学期の終わりから
2学期にかけての慌ただしい時期にあたることもあって、
なんか適当に教わった印象。
そもそも、鎌倉時代末期から室町時代初期は
相次ぐ元寇に疫病の流行、南北朝時代と、
足利義満の時代の南北朝合一ぐらいまで、
なんだか暗い話が多くて、本当に面白くありませんでした。
ところが軽井沢に来て、頻繁に群馬などの北関東に出かける機会、
特に御朱印巡りを始めてから、この界隈に登場する歴史上の人物は
何れも鎌倉時代末期から、室町時代初期にかけて活躍した歴史上の人物が
続々と登場します。
そもそも、その名前が地名として残っている。
たとえば、北条得宗家を滅ぼした新田義貞はジョイフル本田がある「新田」に縁があり、
応仁の乱の当事者となった山名宗全の名は、高崎の「山名」に縁があります。
そしてなんと言っても、室町幕府を開いた足利氏の本拠地は、「足利市」です。
その足利市、歴史があるだけではなくて、近世から現代にかけては
織物の産地としても非常に栄えました。
これは、群馬から栃木にかけての両毛線沿線は、みなそうですね。
伊勢崎、桐生、そして足利と、何れも日本を代表する織物の産地でした。
歴史があり、かつ近代日本の産業を支えた織物の産地には
古く、立派な町並みと、美味しい料理屋さん、そして立派な神社や寺院があります。
昨年、足利の中心部にある、鑁阿寺や織姫神社を参拝した際に、
他にもいろいろ参拝したい神社や寺院がたくさんあるのを見つけて
また行かなくちゃ、と思っていたのですが、
今回ようやく念願叶って、車の点検終了後に足利にやってきた、と言うわけです。
すでにご紹介しましたが、まずは日蓮宗本経寺で御首題を頂いたあと、
次に参拝したのが、こちらの神社でした。

足利市の中心部を流れる、渡良瀬川近くの高台に祀られている
八雲神社です。鳥居脇の提灯に書かれていますが、
「足利総鎮守」だそうです。
創建は非常に古く、平安時代初期の869年。
平将門の乱の際には藤原秀郷が戦勝祈願をした、という言い伝えもあるほど、
東国を代表する神社の一つだったそうです。
しかし、その割には階段上の社殿が新しく見える。

近づいて見ると、まだ白木の部分も残る、非常に新しい社殿です。

どうしたことかと思ったら、2012年に火災で全焼。
その後、2015年に伊勢神宮内宮別宮の月讀荒御魂宮から
式年遷宮の古材を譲り受け社殿を再建することとなり、
2017年に再建されたとのことです。
この神社、もう一つ有名なのが森高千里の「渡良瀬橋」にも
その名が登場する神社だったこと。
消失の際には、森高さん本人を始め、多くのファンの方から
再建に向けた寄付などが寄せられたそうです。

最後に御朱印を。
なんと、右には日本武尊の和歌が書かれています。
ご祭神は素戔嗚尊で、日本武尊が出雲大社から勧請したという
説もあるそうですので、それにちなんだものでしょうか。
また、左の御朱印には「東国第一勅願所」と記されていますが、
869年に清和天皇が京都の八坂神社などとともに
東国第一勅願所として創建したから、だそうです。
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