遠州三山
さて、クリスマスも終わり、いよいよ今年も押し迫ってきました。
たまっているネタの大棚ざらえをしたいと思いますが、
何回かすでにご紹介した、11月の国道152号線をたどっての
浜松行きの続きです。
美味しいうなぎを堪能した翌日は、浜松から東海道を東へ向かい、
袋井市へ。
この日目指すのは、遠州三山、と呼ばれる静岡県西部の古刹、
秋葉総本殿・可睡斎と油山寺、法多山尊永寺の3ヵ寺。
まずは、可睡斎に向かいました。

いきなり徳川家康ゆかりの、と書かれていますが、
徳川家康と11代住職の仙麟等膳和尚は、徳川家康の幼名、竹千代時代に、
今川家の人質として駿府にいた際につながりが出来、
長じて浜松城主となった際に、この可睡斎住職となっていた和尚を
浜松城に招き、面談をしていたら、
道中の疲れが出たのか、和尚が居眠りをしてしまったので、
「和尚、我を見ること愛児の如し。故に安心して睡る。我その親密の情を喜ぶ。
和尚睡る可し 睡る可し(ねむるべし)」といったのが
寺の名前になってしまった、というのが由来だそうです。
寺の正面階段の脇が大きく崩れていますが、
これはこの夏の静岡県を襲った台風の際に崩れてしまったそうです。

階段を上った先の立派な門は、築地本願寺と同じ
伊藤忠太の設計だそう。

なんか独特な存在感がありますね。
この門をくぐった正面が本堂なのですが、

その本堂の脇に、もう一つ重要なお堂があります。

大きな天狗の銅像がにらみをきかす階段の上にあるお堂の前には、
「秋葉総本殿三尺坊大権現」と書かれた大きなのぼりが立てられています。
そして、お堂正面の金ぴかの扁額にも
同じく秋葉総本殿の文字が。

実はここ、前の日に参拝した秋葉神社の本地仏を祀っているそうなのです。
元々は秋葉神社と同じ、秋葉山中の寺にあったそうですが、
明治の廃仏毀釈で廃寺となり、可睡斎が仏様を含め、すべて引き取ったのです。
ということで、2日がかりで、火伏の神様と仏様を両方参拝させていただいたことになりますね。
ということで、御朱印をいただきました。

この可睡斎でもう一つ有名なのが、大東司。

網代天井の、なんとも豪華なトイレで、
今も現役。ありがたく用を足させていただきました。
続いて参拝したのがすぐ近くにある油山寺。

階段の上にある門が、非常にいかめしいのですが、
こちらは、元々掛川城の大手門だったそうです。
廃城に伴い、こちらに移築されたそうですよ。
道理でお城のような門だと思いました。

可睡斎のすぐ近くではあるのですが、少し木立が深いところにあるせいか、
山門前のもみじが少し色づいていました。

実は木立が深い、どころの話ではなかったのですが・・・
それはあとでご紹介するとして、
山門をくぐると、うっそうと木々が茂る参道を進みます。

なかなか良い雰囲気ですよ。
この参道を進み、階段を上った正面にあるのが、宝生殿。

ここが本堂か、と思ったら、どうやら違ったみたい。
このお寺、この裏が奥の院のようになっていて、なかなかハードな
参道が続いていました。
兎にも角にも、こちらでまずは参拝。

さて、こちらの油山寺、真言宗の寺だそうですが、
またの名を目の霊山と呼ばれており、眼病に御利益があると言われています。
孝謙天皇が眼病の際に、こちらに祈願したら快癒した、と言われているそうですよ。
私も酷い近視と乱視、そして最近は老眼も来ているので、
しっかり拝んでおきました。
さて、まだまだ奥に堂宇がある、というので、さらに奥に進みます。
が、いきなり現れたのが心臓破りの階段。

階段が長いと言えば、身延山の菩提梯や
昨年参拝した和歌山の紀三井寺の階段が凄かったですが、
ここもなかなかな長さの階段。
でもこれを上らないと、途中にあるという三重塔と、薬師堂にたどり着かないので、
頑張って登ります。
まずは三重塔にたどり着きました。

先ほどの宝生殿でも御朱印をいただいたのですが、
こちらにも御朱印どころがあります。
ちなみに、宝生殿の御朱印はこんな感じ。


直書きと、書き置きの2種類がありました。
ちなみに、下の書き置きのものは、その場で係の方が
御朱印帳に貼っていただく、という珍しいスタイルです。
さあ、薬師堂、と思ったら、最後の階段の上に。

まだ階段か、と思いつつも頑張ってのぼり、
参拝してきました。
で、こちらでも御朱印をいただきますが、
こちらでも書き置きをその場で貼り付けていただく方式。

見開きのカラフルな御朱印でした。
さて、油山寺をあとに、お次は法多山へ。
可睡斎、油山寺とは少し離れていますが、こちらも袋井市にあります。
ここも真言宗で、厄除けの御利益があるそうです。
東京で言えば西新井大師や深川不動尊みたいなもんですね。
こちらが、1番規模も大きく、参拝客も多い感じです。
山門も大きい。

この山門をくぐると、うっそうとした木立の中を、
フラットな参道が続きます。

しかし、フラットと思って進むと、今回もやってきました心臓破りの階段。

前日の下栗の里、秋葉神社も結構山道を歩いているので、
この日は結構足腰に来ています。
そこへ来ての、2連チャンで長い階段。
ちょっと気分が萎えますが、頑張って登ります。
登り切ったと思ったら、無情のさらに長い階段が(涙)

それでも、正面に本堂らしき屋根が見え始めたので、
頑張って登ります。
ヒイヒイいいながらたどり着いた本堂は、
ちょっと成田山新勝寺にも似た、壮大な本堂。

この日は七五三の参拝客も含め、かなり多くの参拝客でしたが、
本堂が広くて大きいので、それほどの混雑は感じません。
最後に、この本堂下にある御朱印所で、御朱印をいただきました。

さすがに、足ががくがく、疲れました。
ちょっと休みたいところでしたが、ここにはうってつけの場所がありました。
一気に書いても良いのですが、少し長くなったので、
続きは明日。
次の目標400万アクセスに向けて、
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たまっているネタの大棚ざらえをしたいと思いますが、
何回かすでにご紹介した、11月の国道152号線をたどっての
浜松行きの続きです。
美味しいうなぎを堪能した翌日は、浜松から東海道を東へ向かい、
袋井市へ。
この日目指すのは、遠州三山、と呼ばれる静岡県西部の古刹、
秋葉総本殿・可睡斎と油山寺、法多山尊永寺の3ヵ寺。
まずは、可睡斎に向かいました。

いきなり徳川家康ゆかりの、と書かれていますが、
徳川家康と11代住職の仙麟等膳和尚は、徳川家康の幼名、竹千代時代に、
今川家の人質として駿府にいた際につながりが出来、
長じて浜松城主となった際に、この可睡斎住職となっていた和尚を
浜松城に招き、面談をしていたら、
道中の疲れが出たのか、和尚が居眠りをしてしまったので、
「和尚、我を見ること愛児の如し。故に安心して睡る。我その親密の情を喜ぶ。
和尚睡る可し 睡る可し(ねむるべし)」といったのが
寺の名前になってしまった、というのが由来だそうです。
寺の正面階段の脇が大きく崩れていますが、
これはこの夏の静岡県を襲った台風の際に崩れてしまったそうです。

階段を上った先の立派な門は、築地本願寺と同じ
伊藤忠太の設計だそう。

なんか独特な存在感がありますね。
この門をくぐった正面が本堂なのですが、

その本堂の脇に、もう一つ重要なお堂があります。

大きな天狗の銅像がにらみをきかす階段の上にあるお堂の前には、
「秋葉総本殿三尺坊大権現」と書かれた大きなのぼりが立てられています。
そして、お堂正面の金ぴかの扁額にも
同じく秋葉総本殿の文字が。

実はここ、前の日に参拝した秋葉神社の本地仏を祀っているそうなのです。
元々は秋葉神社と同じ、秋葉山中の寺にあったそうですが、
明治の廃仏毀釈で廃寺となり、可睡斎が仏様を含め、すべて引き取ったのです。
ということで、2日がかりで、火伏の神様と仏様を両方参拝させていただいたことになりますね。
ということで、御朱印をいただきました。

この可睡斎でもう一つ有名なのが、大東司。

網代天井の、なんとも豪華なトイレで、
今も現役。ありがたく用を足させていただきました。
続いて参拝したのがすぐ近くにある油山寺。

階段の上にある門が、非常にいかめしいのですが、
こちらは、元々掛川城の大手門だったそうです。
廃城に伴い、こちらに移築されたそうですよ。
道理でお城のような門だと思いました。

可睡斎のすぐ近くではあるのですが、少し木立が深いところにあるせいか、
山門前のもみじが少し色づいていました。

実は木立が深い、どころの話ではなかったのですが・・・
それはあとでご紹介するとして、
山門をくぐると、うっそうと木々が茂る参道を進みます。

なかなか良い雰囲気ですよ。
この参道を進み、階段を上った正面にあるのが、宝生殿。

ここが本堂か、と思ったら、どうやら違ったみたい。
このお寺、この裏が奥の院のようになっていて、なかなかハードな
参道が続いていました。
兎にも角にも、こちらでまずは参拝。

さて、こちらの油山寺、真言宗の寺だそうですが、
またの名を目の霊山と呼ばれており、眼病に御利益があると言われています。
孝謙天皇が眼病の際に、こちらに祈願したら快癒した、と言われているそうですよ。
私も酷い近視と乱視、そして最近は老眼も来ているので、
しっかり拝んでおきました。
さて、まだまだ奥に堂宇がある、というので、さらに奥に進みます。
が、いきなり現れたのが心臓破りの階段。

階段が長いと言えば、身延山の菩提梯や
昨年参拝した和歌山の紀三井寺の階段が凄かったですが、
ここもなかなかな長さの階段。
でもこれを上らないと、途中にあるという三重塔と、薬師堂にたどり着かないので、
頑張って登ります。
まずは三重塔にたどり着きました。

先ほどの宝生殿でも御朱印をいただいたのですが、
こちらにも御朱印どころがあります。
ちなみに、宝生殿の御朱印はこんな感じ。


直書きと、書き置きの2種類がありました。
ちなみに、下の書き置きのものは、その場で係の方が
御朱印帳に貼っていただく、という珍しいスタイルです。
さあ、薬師堂、と思ったら、最後の階段の上に。

まだ階段か、と思いつつも頑張ってのぼり、
参拝してきました。
で、こちらでも御朱印をいただきますが、
こちらでも書き置きをその場で貼り付けていただく方式。

見開きのカラフルな御朱印でした。
さて、油山寺をあとに、お次は法多山へ。
可睡斎、油山寺とは少し離れていますが、こちらも袋井市にあります。
ここも真言宗で、厄除けの御利益があるそうです。
東京で言えば西新井大師や深川不動尊みたいなもんですね。
こちらが、1番規模も大きく、参拝客も多い感じです。
山門も大きい。

この山門をくぐると、うっそうとした木立の中を、
フラットな参道が続きます。

しかし、フラットと思って進むと、今回もやってきました心臓破りの階段。

前日の下栗の里、秋葉神社も結構山道を歩いているので、
この日は結構足腰に来ています。
そこへ来ての、2連チャンで長い階段。
ちょっと気分が萎えますが、頑張って登ります。
登り切ったと思ったら、無情のさらに長い階段が(涙)

それでも、正面に本堂らしき屋根が見え始めたので、
頑張って登ります。
ヒイヒイいいながらたどり着いた本堂は、
ちょっと成田山新勝寺にも似た、壮大な本堂。

この日は七五三の参拝客も含め、かなり多くの参拝客でしたが、
本堂が広くて大きいので、それほどの混雑は感じません。
最後に、この本堂下にある御朱印所で、御朱印をいただきました。

さすがに、足ががくがく、疲れました。
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